【孤高のアーティスト】ジャン=ミシェル・バスキア

2019年9月、ジャン=ミシェル・バスキアの日本初大規模展覧会が森アーツセンターギャラリーで開催されました。
わずか10年ほどの活動期間に3000点を超えるドローイングと1000点以上の絵画作品を残したバスキア。
ポップ・アートの巨匠・アンディー・ウォーホルと親交があり、ストリートアーティストとして活動しますが、
1988年に27歳の若さでこの世を去ってしまいます。

スターになることを夢見たバスキア少年

1960年12月22日、NYブルックリンで、ハイチ・ポルトープランス出身でプエルトリコ系の父と、
プエルトリコ系米国人の母との間に生まれたジャン=ミシェル・バスキア
小さい頃から絵画に興味があり、4歳になる頃にはテレビに出てくる漫画アニメをスケッチしていたほどでした。
そして17歳の頃には、スターになることを夢見て、ストリートアーティストとして手描きのポストカードやTシャツを売って
生計を立てるようになります。

アンディー・ウォーホルとの運命的な出会い

有名になることを夢見てアーティスト活動を続けていたバスキアは、
1983年頃にポップ・アートの巨匠・アンディー・ウォーホルに才能を認められ、
親交を深めるようになり、その数年後には共同で絵を制作します。
憧れであるウォーホルとの出会いは、バスキアにとっては大きな出来事でした。
しかし、1987年にウォーホルが病で亡くなってしまうことでバスキアは孤独感を深め、精神状態も不安定になり、
1988年の夏、ウォーホルの後を追うようにこの世を去ることになります。

バスキアの類まれなる色彩感覚と力強いタッチ

ストリートアーティストとして、壁やドアに思いつくままに筆を走らせるバスキアの作品は、
単なる落書きのようで、ポップな色彩にあふれています。
これも、バスキアの持って生まれた色彩感覚に加えて、小さな頃から英才教育を受け、
母親に連れられて美術館などを巡った幼少時代の影響があるのかもしれません。
中流階級の家庭で育ったバスキアですが、決して幸せだったとはいえませんでした。
父親の家庭内暴力により両親が離婚し、バスキアは父親に引き取られ、
母親は精神病院に入ることになります。
彼の力強いタッチで描かれた作品には、父親への憎しみや反抗心さえ感じられます。

123億円で落札されたバスキアの「Untitled(無題)」

2017年5月18日に行われたサザビーズ・ニューヨークのイブニング・セールで、バスキアの作品「Untitled(無題)」が約123億円で落札されました。
これはバスキアのオークション史上最高額です。
落札したのは、株式会社スタートトゥデイ代表取締役社長の前澤友作氏。
このニュースでバスキアを知ったという方も多いのではないでしょうか。

参考サイト:
バスキア展 メイド・イン・ジャパン
美術手帖

写真:
ジャン=ミシェル・バスキア
Untitled, 1982
Oilstick, acrylic, spray paint on canvas
183 x 173 cm
Yusaku Maezawa Collection, Chiba
Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat.
Licensed by Artestar, New York

まとめ

わずか10年ほどの活動期間に3000点を超えるドローイングと1000点以上の絵画作品を残し、
27歳でこの世を去ったジャン=ミシェル・バスキア。
白人至上主義の現代アート界にたったひとりで入り込み、
若さと才能だけで独自のアートの領域を築いた孤高のアーティスト。
心から待ち望んでいだアート界で名を馳せるという夢は、彼が亡くなった後に叶うことになります。
自身の作品が123億円で落札されることになるとは、夢にも思わなかったのではないでしょうか。
時代を経ても色褪せないバスキアの生き生きとした作品は、これからも多くの人々に影響を与え続けることでしょう。