【アートではなく商業デザイン】浮世絵で読み解く江戸の文化

江戸時代に庶民に愛された浮世絵
絵師の葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川広重らが描いた版画です。
今では高価な美術品として扱われていますが、当時は雑誌や写真集のように身近なものでした。
美人画から風景画などジャンルは様々。
そんな浮世絵から、江戸の文化を読み解くことができます。

浮世絵は売れることを目的とした商業デザイン

浮世絵とは江戸時代に庶民たちに親しまれた絵画です。
当時は、蕎麦一杯と同じくらいの価格だったのだそうです。

「浮世(うきよ)」という言葉は「この世、ただ今」のこと。
今日を生きる人たちの生活、生き様、楽しみを描いた「浮世の絵」ということです。

現在では、葛飾北斎の富士山の風景画などで知られる浮世絵ですが、
当初は美しい女性など人物を描いた作品が人気でした。
そこから役者絵や美人画、さらに風景画などへと様々なジャンルへ広がりました。
浮世絵は「売れること」を目的とした一大産業として江戸の町を活気づけたのです。

浮世絵は分業制

浮世絵は、絵師、版元(はんもと)、彫師(ほりし)、摺師(すりし)などが連携してつくる分業の絵画で、以下の行程で制作します。

  1. 版元 「売れること」を目的に企画
       画が上手くて信頼できる絵師を探して交渉
       打ち合わせを重ねて作品の構成を決め、絵師に「版下絵」を依頼
  2. 絵師 企画に沿って墨一色(墨絵)で版下絵を描く
  3. 彫師 版下絵をもとに主版(墨摺絵)を彫る
  4. 絵師 主版(墨摺絵)で色を指定
  5. 彫師 指示に合わせて色別に数枚の色版を彫る
  6. 摺師 色ごとに重ねて摺る

それぞれのスペシャリストたちのチームワークで、作品の売れ行きが決まるのです。

浮世絵に描かれた江戸の文化

美人画、役者絵、風景画・名所絵、芝居絵、武者絵、戯画、判じ絵、春画…
様々なジャンルの浮世絵から、江戸の文化を読み解くことができます。

花の吉原は憧れのテーマパーク

幕府は江戸時代が始まって間もない1617年頃、現在の日本橋人形町辺りに、公許の遊郭を置くことを認めました。
しかし、江戸の町が発展してきた1657年に、この江戸城の近くの吉原に浅草寺裏手への移転を命じます。
その移転先は「新吉原」と呼ばれ、江戸で唯一の公許の遊郭として、幕末まで賑わいました。
日本橋人形町辺りにあった移転前を「旧吉原」、浅草寺裏手の移転後を「新吉原」と区別して呼ばれます。
新吉原は遊女が買える場所でもありましたが、大人の社交場として華やかな雰囲気や飲食を楽しみ、
また文化や流行の最先端を知ることができるアミューズメントパークとして愛されました。

吉原は、今でいう一大複合施設のような場所だったのでしょうか。
浮世絵から、流行のファッションや食べ物など、江戸の文化や娯楽を垣間見ることができます。

まとめ

江戸時代に描かれた浮世絵から、様々な江戸の文化を読み解くことができます。
時代劇や小説に出てくる吉原の活気あふれる様子が描かれた浮世絵も数多く残っていて、
当時の遊女たちの暮らしぶりが見えて興味深いです。

参考文献:浮世絵の解剖図鑑
著者:牧野健太郎

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